引退が近いJR鉄道車両まとめ

あくまで予測ですので、参考程度に見てください。


新幹線


E4系
2013年から廃車が開始されており、2020年を目処に引退させる予定発表あり


E4系とは

200系の老朽取替とE1系導入後も増え続ける旅客需要に対応するために製造された。E1系と同様に全車2階建車両で「Max」の愛称が与えられている。また、そのユニークな先頭形状から鉄道ファンからは「カモノハシ」「巨大イカ」とも呼ばれている。上越新幹線MAXときおよびMAXたにがわで運用されている。
最高速度は240km/h。8両編成で定員は817人。2本連結した16両の定員は1,634人で高速鉄道車両としては世界最大級。E1系の12両編成から8両編成としたのは需要の関係により必ずしも12両編成で運行する必要がないことがあり、逆に輸送需要の多い時間帯の列車については2本連結した16両編成として、需要の多寡に応じた運用を可能とするのと、東北新幹線の場合、「つばさ」・「こまち」といったミニ新幹線車両を併結する場合にプラットホーム有効長などの地上設備が新幹線車両の標準である25m級車両16両分であることから、併結相手の車両運用についても冗長性を持たせるためでもある。一部、北陸新幹線の急勾配区間走行に対応した編成や、それに加えて軽井沢駅以西の商用電源周波数60Hzに対応した編成が存在する。


500系
2018年には運転開始から20年以上経過
N700S系による置き換えで2022年度には引退の可能性あり


500系とは

JR西日本が、自社の路線である山陽新幹線の航空機に対する競争力強化の一環として、より一層の高速化を目指して開発した。車体強度・台車強度・力行性能などすべて320km/h対応として設計・計画され、1996年1月から1998年12月にかけ、16両編成9本合計144両が製造された。当初は山陽新幹線区間限定で「のぞみ」運用を中心として運転を開始し、その後東海道新幹線での営業運転を開始し、後続系列である700系の最高速度が285km/hと低く抑えられたこともあり、「のぞみ」の中でも特に速達性を重視した運用に長く充当された。
2007年に最高速度300km/hの高速性能と居住性の両立を目指した後継車両として、東海旅客鉄道JR東海)・JR西日本の両社が共同開発したN700系が営業運転を開始し、同系の増備により所要数が充足されたことから、500系は2010年2月28日に定期「のぞみ」運用から離脱した。


E2系
先に北陸新幹線用のN編成が引退
2023年頃には東北新幹線上越新幹線のJ編成が引退する予定


E2系とは

1997年開業の北陸新幹線高崎駅 - 長野駅間「あさま」、および秋田新幹線「こまち」を併結する東北新幹線「やまびこ」用として開発された。
1995年の製造当初より、JR東日本の新幹線標準型車両として位置づけられており、200系の置き換えも念頭において増備されている。2015年3月現在、北陸新幹線「あさま」の一部列車、東北新幹線「やまびこ」・「なすの」の大半の列車(10両編成と17両編成の1 - 10号車)、東北新幹線「はやて」(東京駅 - 盛岡駅間)・上越新幹線「とき」・「たにがわ」で運用されている。
大きな特長としては、J編成の両先頭車とグリーン車にフルアクティブサスペンションを搭載したことが挙げられる。これにより振動の少ない快適な乗り心地を実現している。


700系
JR東海は、東海道新幹線においては2019年度末までに全編成をN700S系に置き換える計画を発表済み。


700系とは

適度の製造・保守コストで東海道・山陽新幹線全体の高速化を図るべく、JR東海JR西日本が共同で開発した車両である。最高速度は285km/hで、500系の300km/hには及ばないが、車内の居住性や乗り心地の改善を図っている。また充当編成変更時にも対応できるよう300系と座席数を共通化させている。
1両あたりの価格は約2億3000万円である(16両編成で約36億4000万円)。なお、JR東海会長葛西敬之国鉄改革の真実」によると、編成価格は300系と同様の約40億円である。1997年秋に先行試作車16両編成1本が落成し、各種試験がなされた。1998年からは量産車の落成が始まり、0系や100系の置き換えが推進された。日本車輌製造日立製作所川崎重工業近畿車輛JR西日本所有編成のみ)に発注され、最終的に91編成(16両編成75本、8両編成16本)、1328両が製作された。
開発発表当初の仮称は「N300」であったがこれは正式名称には採用されず、従来の慣例に従って700系と命名された。


特急型列車


E351系
2018年3月で引退


E351系とは

中央本線で使われていた183系・189系電車の老朽取替・高速化のために開発された電車である。
並行する中央高速バスに対抗するため、制御つき自然振り子装置を採用し、曲線区間でのスピードアップを可能とした。最高速度は130km/h、新宿 - 松本間の最速列車は2時間25分で、山岳路線の列車でありながらも表定速度は90km/hを超える。
振り子の有無と最高速度の違いにより所要時間に差が生じたことで、E351系使用列車は「スーパーあずさ」とし、183・189系使用列車を「あずさ」として、列車名を使用車両ごとに区別した。製造は日本車輌製造日立製作所である。
本系列はJR東日本としては初めて振り子式を採用し、中央本線特急のスピードアップを達成した車両であったが、その製造数は8+4両編成5本60両にとどまり、2001年には非車体傾斜車両であるE257系電車が183・189系に替わり中央東線の特急「あずさ」「かいじ」運用に投入された。


785系
789系「スーパー白鳥」が廃止になり、札幌圏に転用する関係で置き換え
2020年で引退


785系とは

JR北海道を代表する基幹系統である、函館本線・札幌駅 - 旭川駅間の輸送改善のために開発された電車である。
区間は、日本国有鉄道国鉄)時代から781系電車によるエル特急ライラック」「ホワイトアロー」が所要1時間30分前後で結び、30分 - 1時間間隔で運行されていた。国鉄分割民営化後、1990年10月に札幌 - 旭川間の高速道路が全通することから、JR北海道では高速バスやマイカーとの競争力向上のため、所要時間の短縮と増発を図ることとなり、最高速度130km/hでの運転を可能とする線路改良および新型車両の開発がなされ、1990年5月に785系電車が完成した。JR北海道発足後、初の新型特急形電車であるほか、JRグループの量産型車両としては初めてVVVFインバータ制御を採用した車両である。


キハ183系
JR北海道では、引退させる計画を発表
JR九州の1000番台が残るのみ


キハ183系とは

従来の特急形気動車の仕様を再検討し、諸設備の機能向上と耐寒耐雪機能に留意した北海道専用車両として開発された系列である。
北海道内各系統の特急列車は1961年以来キハ80系気動車を使用してきた。同系列は「北斗」「おおぞら」「おおとり」などの道内特急列車網を確立し長期にわたって使用されてきたが、1975年頃から接客設備の陳腐化と酷寒地運用ゆえの故障多発・損耗が顕在化し、取替えが喫緊の課題とされた。後継車両の計画に際しては北海道内での使用に留意し、厳しい気象条件に適合した「雪と寒さに強い」特急形気動車として開発が進められ、1979年にキハ183系先行試作車が完成した。1980年から1年半の試用の後、1981年10月から量産車の使用を開始した。
1986年11月の国鉄最後のダイヤ改正で、各部の大規模な設計変更がなされた500番台(N183系)が投入され、キハ80系を完全に淘汰した。JR移行後の1988年には走行性能の向上に留意した550番台(NN183系)を投入し、道内特急列車の高速化と設備水準向上を実現した。
2001年から経年の進んだ車両が順次淘汰されつつあるが、使用路線の実情を考慮した仕様変更や改造も多数なされ、現在に至るまで道内各路線の特急列車に使用されている。


485系
ジョイフルトレインだけに


485系とは

1950年代半ば以降、国鉄は地方線区の電化では地上設備の低廉性などから交流電化を推進し、各地に直流電化方式との接続点となるデッドセクションが生じた。さらに特急列車の運転区間が地方線区に拡大され、上述の異電源方式区間への直通運転要求に応えるために製造されたのが本系列である。
1964年(昭和39年)から関西⇔北陸・九州用に直流/交流60Hz対応の481系電車が、翌1965年から関東⇔東北用に直流/交流50Hz対応の483系電車が製造された。1968年からは交流の周波数が50・60Hz両対応となった485系電車が製造され、本系列の統一形式名となった。
1971年には派生系列として信越本線横川 - 軽井沢間(碓氷峠)でEF63形補助機関車との協調運転に対応した489系電車の製造も開始された。
本系列は1979年まで製造が行われ、四国を除く日本各地の特急列車に投入された。当初は主に東京・大阪・名古屋などの大都市圏と交流電化された東北・北陸・九州方面直通特急で、山陽・東北・上越の各新幹線開業後は新幹線連絡特急などで運用された。
国鉄分割民営化時には東日本旅客鉄道JR東日本)・西日本旅客鉄道JR西日本)・九州旅客鉄道JR九州)に継承され、1990年代以降では団体専用列車用ジョイフルトレインへの改造も施工された。
しかし新幹線の延伸開業などによる運用の減少・老朽化・後継系列の置換えにより廃車が進行し、2011年4月現在で他系列への改造車を除くと定期運用が存在するのはJR東日本のみであり、定期運用終了のJR西日本JR九州では保留車もしくは波動運用対応車のみが車籍を有する。


183系
2015年に引退


183系とは

1972年に日本国有鉄道国鉄)が設計・製造した直流特急形電車である。
現在183系はJR東日本JR西日本保有する。JR西日本所属車両は全車が485系/489系からの改造車両で、オリジナルの183系はJR東日本のみに存在している。オリジナル車の特徴は、ビジネス輸送にも対応するため、特急型電車として初めて片側2扉を採用し、さらに当初から食堂車の連結は考えられておらず製造されていない。これは当時の特急としては異例であったが、特急の標準的なスタイルとなっていく。


185系
E257系などの転属により 185系置き換え


185系とは

日本国有鉄道国鉄)が1981年に運用を開始した特急形直流電車である。国鉄で最後に製造した優等列車用電車車両でもある。
特急形車両でありながら通勤通学輸送にも対応させるという、それまでの国鉄にはなかった新しい試みのもとに設計・製造されたことが特徴で、東海道本線普通列車と急行列車に使用されていた153系電車の置き換えのために登場した車両である。1982年には高崎線などで使用されていた165系電車を置き換えるために、耐寒耐雪装備や横軽対策を施した車両が増備され、1982年までに合計227両が製造された。
1987年の分割民営化時には全車両が東日本旅客鉄道JR東日本)に承継され、1995年から2002年にかけて全車両が車内外のリニューアルを施され、特急列車や湘南ライナー等を中心に運用されていたが、2014年以降は編成単位で淘汰が開始されている。


189系
2018年に引退


189系とは

信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠は最大66.7‰の急勾配区間であるため電車は最大8両編成までに制限されるほか台枠・連結器の強化などの通称横軽対策を施した車両のみが、EF63形の推進・牽引による無動力運転を行っていた。しかし、協調運転用機器を搭載することにより12両まで通過可能となるためエル特急「あさま」「そよかぜ」で運用されていた老朽化が著しい181系の置換えならびに輸送力増強を目標に183系1000番台からおよそ半年後の1975年6月に竣工した系列である。


381系
定期運用は「やくも」だけ


381系とは

日本の鉄道路線は、地形上の問題から勾配や急カーブが多く、出力の増大によるスピードアップには限界があった。
そこで国鉄は、1970年に振子式電車591系を試作した。その実績をもとに、営業列車用として1972年に本系列を開発し、翌1973年から中央本線特急「しなの」に投入した。その後、1978年に阪和線紀勢本線特急「くろしお」、1982年に伯備線特急「やくも」にも投入された。


783系
長崎新幹線開業に合わせて引退する予定


783系とは

1988年(昭和63年)3月13日に営業運転を開始し、「ハイパーサルーン」の愛称を持つ。
本系列の開発当時、九州地方では都市が点在している都合、高速道路網の急速な整備が進行していた。こうした背景から競合他交通機関(自家用車や高速バスなど)は発達しており、本来ならば十分に競争力を持つ特急車両が必要であった。しかしながら従来使用されていた485系電車は陳腐化が激しく、また今後の速度向上も望めないことから見劣りは否めなかった。そこで新しい設計思想を取り入れた車両が迅速に必要となり、開発されたのが本系列である。JR九州としては初の新造特急形電車であるが、車両自体の開発計画は日本国有鉄道国鉄)時代末期にまで遡ることができる。設計には国鉄末期に開発された新しい技術を多く取り入れている。485系電車と比べると居住性は大幅に改善され、また130km/h運転を前提として設計されたのも特徴である。
JRグループとして初の新形車両ということもあり、登場時は大いに注目を集めた。


キハ185系
運転開始してから30年経過
2000系により置き換え?


キハ185系とは

国鉄の分割民営化を控えた1986年に、四国地区向けに製造された車両の一つである。
従来四国の特急列車に用いられていたキハ181系の代替車ではなく、老朽化した急行形のキハ58系・キハ65形の置き換えと同時に急行列車の特急格上げを行い、経営基盤の脆弱が予想されるJR四国の経営安定化を図る目的で開発された。
また、短編成での小単位輸送に用いることを念頭に置いて設計されているほか、さらに徹底したコストダウンも図られた。


通勤型・近郊型列車


103系
奈良線関西本線おおさか東線加古川線播但線筑肥線で活躍中


103系とは

国鉄通勤形電車として、当時の国鉄の財政・設備・保守などの各事情を考慮の上で経済性を最重視して設計され、1963年(昭和38年)3月から1984年(昭和59年)1月までの21年間に3,447両が製造された。
新造車3,447両のほか、20両が72系から、36両が101系からそれぞれ編入され、総数は3,503両であるが、全車が同時に存在したことはない。
JRグループ発足時に、事故廃車2両と105系改造車65両を除いた3,436両が、北海道旅客鉄道JR北海道)と四国旅客鉄道JR四国)を除く各旅客鉄道会社に引き継がれたが、老朽化による新型車両への取り換えによって廃車が進行し、東海旅客鉄道JR東海)では2001年、東日本旅客鉄道JR東日本)では2009年に形式消滅となった。


205系
仙石線東北本線日光線武蔵野線南武支線鶴見線、相模線、八高線阪和線で活躍中


205系とは

1981年(昭和56年)より、103系に代わる省エネルギー通勤形電車として量産が開始された201系は、量産中にも様々なコストダウンを図りながらも1,000両を超える増備を行ってきた 。しかし、核となる電機子チョッパ制御の製造コストが非常に高価で、当時財政的に厳しい状況に置かれていた国鉄にとっては、より大幅なコストダウンの図れる車両が必要な状況にあった。この時期には111系・115系などの老朽化置き換えを目的とした次期近郊形車両(現在の211系)用として開発していた「界磁添加励磁制御」方式を実用化に向けて試験を行っていた。また、同車には新開発の軽量ボルスタレス台車や軽量ステンレス構造、電気指令式ブレーキの採用計画などを進めていた。 その後、1984年度に1985年(昭和60年)3月のダイヤ改正において横浜線武蔵野線の輸送力増強を行うこととなり、山手線からこれらの路線へ103系を捻出するための通勤形車両が必要となった。この時点で既存の201系を山手線用に増備するのか、新形式車両を投入するかが迫られていた。そして、最終的には1984年(昭和59年)6月末に次期近郊形車両用のシステムを使用した通勤形車両として本系列の製造が決定された。乗務員訓練時期を含めたダイヤ改正の前に落成する必要性から、翌1985年1月末に第1編成の落成が決定され、デビューまでわずか7か月という非常に短期間で設計・製造が進められた。
なお、当初の国鉄における計画では首都圏全体の置き換え計画があり、山手線に次ぐ投入線区として中央・総武緩行線に集中投入する計画であった。


105系
和歌山線紀勢本線、桜井線、きのくに線福塩線山陽本線呉線可部線宇部線小野田線で活躍中
公式引退発表あり


105系とは

105系は、それまで戦後間もない頃に製造された旧型の電車が残っていた地方路線のサービス向上に登場した通勤型電車である。103系と、後述する201系の中間のような車両で、3扉の新製車の他、103系からの改造車両(4扉)も多数存在する。また、先頭車の顔も103系そのままの車両と、105系オリジナルの貫通型の3種類ある。
JR東日本所属車両は、103系を改造したもので仙石線で2両編成×2本が活躍していた。しかし、平成12年に全車引退し、首都圏で訓練車として転じたが2008(平成20)年に解体された。
JR西日本所属車両は、広島・山口地区の車両がJR発足から間もなく塗装変更されている他、最近では延命工事も開始され、特に2004年9月には和歌山地区に車内・車外共に大規模なリニューアル工事とトイレの設置が行われた車両が登場している。


417系
2016年5月に引退


417系とは

1978年に日本国有鉄道が設計・製造した交直流近郊形電車。全車日立製作所が製造した。
1970年代の地方都市圏での人口増加・通勤通学需要の増加に伴い、それまで運用されていた客車列車ではデッキ付近の混雑で乗降に時間がかかり、地元からサービス改善の要望も出されていた。このため、これら客車を順次気動車や電車に置換える必要が生じていた。
都市圏用の近郊形電車で直流・交流いずれの電化区間も運行可能な系列としては、当時既に415系電車が常磐・北九州地区へ投入されていた。しかし415系は、地方路線へ投入するには以下の問題点があった。
・半自動戸閉め装置・耐寒耐雪構造・抑速ブレーキが未装備のため寒冷地・山岳路線での運用に難がある。
・客用扉付近にステップがないためホーム高の低い駅が多く残る線区では車両側もしくは施設側に対策が必要。
このため地方の気候や路線輸送事情に対応する車両を新設計する要請から開発されたのが本系列である。


113系
山陽本線で運行中


113系とは

1962年(昭和37年)に先行開発された111系をもとに、120kWに出力が強化され新たに標準化されたMT54形主電動機を用いた形式。これにともない主制御器、主抵抗器なども容量が増大された。1963年から1982年にかけて約2,943両(サロ124・125形を含めると2977両)が製造され、おもに本州内の平坦で温暖な地域の路線で広く普通列車から快速列車に用いられた。関連系列として、寒冷・急勾配路線用に並行製造された115系があるが、これと比較して、平坦線用のため抑速ブレーキやノッチ戻し制御は装備しない。
JR移行に際しては、東日本旅客鉄道JR東日本)・東海旅客鉄道JR東海)・西日本旅客鉄道JR西日本)の3社に引き継がれ、主に東海道本線山陽本線系統など平坦路線の普通・快速列車に運用されたが、後継形式への置き換えによってJR東日本では2011年、JR東海では2007年に運用を終了した。2014年4月時点ではJR西日本に162両とJR四国JR東日本から一部車両が譲渡された)に12両の合計174両が在籍し、主に普通列車に運用されている。


115系
JR西日本下関・岡山で運行中
しなの鉄道2019年から新車置き換え予定


115系とは

寒冷地区・急勾配路線での運用を目的にした近郊形車両で1963年(昭和38年)から1983年(昭和58年)まで改良を重ねながら1,921両が製造された。
同時期に製造された113系が暖地・平坦地向けであるのに対して、本系列は113系と基本的な部品の共通化をしつつも山間部・寒冷地・急勾配路線での運用を考慮し耐寒耐雪構造・勾配対策が施工された。またローカル線への投入が想定されたためクハ115形2両+モハ115形・114形ユニットで組成される4両編成を最小単位として運用できる構造を採用。1966年にはクモハ115形の製造開始により3両編成での組成も可能となった


117系
JR東海からは引退済み
JR西日本でも置き換え始まる


117系とは

1979年から1986年にかけて、主に老朽化した153系の置き換え用として216両が製造され、1987年の国鉄の分割・民営化時には東海旅客鉄道JR東海)に72両、西日本旅客鉄道JR西日本)に144両がそれぞれ承継された。
京阪神地区の東海道本線山陽本線で運行している新快速には、1972年からそれまでの113系に代えて、山陽新幹線岡山開業に伴う山陽本線急行の淘汰で余剰となった153系が投入されていた。153系はこの時点では113系と異なり、既に冷房装置を搭載していたが、製造初年が1958年と古く、座席がボックスシートであり、並行する阪急電鉄京都線京阪電気鉄道京阪本線の特急車両がいずれも転換クロスシートを採用していたのに比べると見劣りしていた。また、本来は急行形として設計された車両であり、デッキを有する客室構造はラッシュ時の輸送に難点があった。
117系は153系のこうした問題点を解消し、かつ、並行私鉄に対抗できる客室設備を備え、京阪神地区の輸送事情に適合する車両として設計された。客室設備は1975年に北九州地区に投入されたキハ66・67系を基本としており、それまで一貫して車両の標準化を推進してきた国鉄が地域の事情に応じて設計、製造した嚆矢となっている。


211系5000・6000番台
JR東海の場合、運転開始から30年までに引退させるのが基本
2021年には213系と一緒に引退する可能性あり


211系とは

1985年(昭和60年)に登場し、1991年(平成3年)まで製造された。
直流近郊形電車は、1962年(昭和37年)から20年以上の長きにわたって111・113系115系が製造されてきた。本系列は、これらに代わるフルモデルチェンジ車であり、軽量ステンレス製車体や構造の簡便なボルスタレス台車電機子チョッパ制御よりも簡便かつ安価に回生ブレーキが使用可能で抵抗制御を基本とした界磁添加励磁制御、応答性の高い電気指令式ブレーキや簡易的なモニタ装置など、省エネルギーや保守費低減に配意した新機軸が各所に採用されている。これらは通勤形電車の205系で先に採用されたものであるが、本来は近郊形電車用のシステムとして開発されていたものである。ユニットあたりの力行性能の向上により、電動車比率を下げ、2M3T編成で25‰区間までの通常の使用ができる設計とし、新製コストと運営コストの減少を狙った設計とした。これにより2M3T編成においても113系115系の2M2T編成と同等以上の走行性能をもつ。


311系
理由は211系5000・6000番台と同じ
同時に引退する可能性あり


311系とは

JR東海の新快速用車両として1989年(平成元年)から翌1990年(平成2年)にかけて製造された。
1989年7月9日のダイヤ改正にあわせて登場した車両で、211系5000番台・213系5000番台に続きJR東海が3番目に製造した電車形式である。本系列が登場したダイヤ改正では新しくターミナル駅として金山総合駅が開業し、東海道本線では豊橋 - 大垣間で新快速・快速が増発された。本系列はこれらの列車にあてるために新製されたものである。
構成はクモハ311形・モハ310形・サハ311形・クハ310形の4形式からなる4両編成である。車体やシステムは211系電車5000番台に準じているが、前頭部の形状など一部に変更が加えられている。製造は日本車輌製造日立製作所近畿車輛川崎重工業の4社が担当した。


415系
七尾線北陸本線鹿児島本線日豊本線長崎本線佐世保線で活躍中


415系とは

403系や423系といった系列を統合し、50hz/60hz両対応の近郊型電車として誕生。まず113系などと同様のデザインで登場した。その後、数次にわたり量産され、それに伴い細かいバリエーションが登場。常磐線や九州北部で順次、運転を開始している。
ところが、1986(昭和61)年登場の車両(1500番台)は、がらりと印象を変更した。211系に準じたステンレス車体と白いマスクの顔に変更となった。また、JR東日本では2階建ての先頭車を1両試作。これは、後にオール2階建て電車の215系として華開くが、415系ではこの先頭車1両だけで製造が終了。しかも、215系は415系が走る常磐線にはやってこない。
また、改造車両としてはJR西日本七尾線用に投入した車両(800番台)がある。こちらは、平成3年に七尾線電化に合わせ、特急型電車485系の交流機器をはずして113系に装備させたものである。


123系
残り5両


123系とは

日本国有鉄道国鉄)およびJR各社が手荷物・郵便輸送の廃止・縮小に伴って余剰になった荷物電車などを改造し、電化ローカル線向けに投入した直流近郊形電車である。1986年(昭和61年)から1988年(昭和63年)にかけて投入された。
基本的に、国鉄の新性能電車は「電動車」を2両1組にしているために最小編成単位は2両であるが、本系列は車両の両端に運転台を有し1両単位で使用できる車両を改造した車両なので利用者が少ないローカル線で単行運転に充てることができる。路線によっては、2両以上を連結して運行されることもある。
形式はクモハ123形のみが存在する。合計13両が改造されたが、改造元の車両(種車)の違いから、車両ごとに特徴が見られる。いずれも、車内の座席はロングシートとされた。
1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化では、東日本旅客鉄道JR東日本)・東海旅客鉄道JR東海)・西日本旅客鉄道JR西日本)の3社に継承されたが、2007年(平成19年)にJR東海の車両が、2013年(平成25年)にJR東日本の車両が、それぞれ全廃されている。


713系
日豊本線宮崎空港線で運転


713系とは

交流電化された地方幹線における普通列車の電車化の促進のために1983年(昭和58年)に3系列目の交流電車として製造された車両である。
電化路線であった長崎本線での機関車牽引普通列車1984年2月1日ダイヤ改正で電車化する際に製造された九州初の交流専用電車である。電車化には基本的に581・583系の余剰車両を近郊形に改造した715系を投入するだけでは不足するため試作車(900番台)として4編成8両が新製され、南福岡電車区(現・南福岡車両区)に配置された。
しかし、国鉄の財政悪化により車両製造コストが強く抑えられるようになり、余剰化した急行形電車の車体載せ替え(717系)および近郊形化改造により必要両数を投入する方針に転換。このため本系列は結果的に試作車編成が製造されたのみで量産はされなかったが、採用された技術はJR移行後に登場した783系・811系・787系阿武隈急行8100系などに活かされた。


キハ66系
2015年に廃車開始


キハ66系とは

山陽新幹線博多開業(1975年3月10日国鉄ダイヤ改正)に先立ち、筑豊・北九州地区の新幹線連絡輸送に使用する目的で開発され、新潟鐵工所富士重工業の2社が製造を担当した。
両開き2扉車体に座席間隔910 mm のゆとりある転換クロスシートと冷房装置を装備し、定格出力440 PS のディーゼルエンジンを搭載する。
当形式は一般形であるが、従来の急行形車両であるキハ58系をもしのぐ水準の接客設備と動力性能を有する車両であり、実際に1980年(昭和55年)までは急行列車にも使用されていた。このため、登場当時の鉄道趣味雑誌などでは「汎用気動車」という呼称をされたが、同趣向の車両が続いて製造されなかったため、定着せずに終わった。
当時は、逼迫する国鉄の財政事情と、過大な自重から、増備や他線区投入などは実現せず、本系列は1975年(昭和50年)までに30両(2両編成×15本)が製造されたのみに終わった。


キハ11
1999年製造の300番台が残るのみ


キハ11形とは

JR東海保有するキハ30形・キハ28形・キハ58形気動車の老朽置き換えと、ワンマン運転の拡大用として投入された。
非電化地方交通線向けに、初期費用および運用費用を抑制するため、新潟鐵工所製の軽快気動車を基本としつつ、JR東海の事情にあわせて仕様の変更を行っている。


キハ40系
JR東海から引退済み

新潟地区2019年度までに引退予定
秋田地区2020年度までに引退予定


キハ40系とは

1977年から1982年にかけて計888両が製造され、日本全国の非電化路線に投入された。2016年現在でもJR旅客鉄道各社に多数が在籍し、主に普通列車用として広く用いられている。電車に近い車体構造の大型気動車で、客室設備の改善や走行機器の刷新なども図られている。その一方で、それ以前の在来型気動車と比較してエンジン出力は若干増加したものの重量も増加しており、動力性能はほとんど向上していない。
客用の片引き戸を車端部2か所に設置したキハ40形(両運転台)、キハ48形(片運転台)と、都市近郊向けに両引き戸を車体中央に寄せて2か所に設置した片運転台のキハ47形に大別されるが、各形式共投入線区の気候に応じた仕様の違いや、便所の有無などによって番台区分されている。国鉄分割民営化後は、各社ごとに使用線区の事情に応じた改造がきめ細かに実施され、派生形式や区分番台が多くなっている。